排除ではなく包摂を。街中の環境管理型権力を意識しよう。
おはようございます。
みなさんは、混雑した飲食店等で長居したことはありませんか?
店員から「すみません、席を空けて頂けませんか」と言われれば従わざるを得ないでしょうが、店員もお客さんも何となく良い感じがしません。
声をかけた店員さんは結果的に親切だと私は思いますが、こういう煩わしさは何とか回避したいですよね。
さて、みなさんは飲食店等でイスに座っていて、「ああ疲れたなあ」、「音楽がうるさいなあ」と感じたことはないでしょうか。
このように感じると「じゃあ近くの喫茶店に移るか」、「もう帰ろうか」と思って店を出ようと思ってしまいがちです。
しかし、この疲労や騒音が店側に意図的に「作り出される」こともあるんです。
有名な例としてよく引き合いに出されるのが、マクドナルドの固いイスです(私が以前行ったマクドナルドのイスは柔らかかったんですが)。
店が混雑している時、店側としては何とか多くのお客さんに料理を注文して欲しいと思いますよね。
したがって、店としてはお客さんに長居されると困るわけです。
お客さんたちに早く帰ってほしいために、店側がわざと固い椅子を選んだり、大音量の音楽を店内に流すなどすることもあるんです。
このように、人びとが自らの感覚に従って普通に生活しているつもりでも、実際には仕掛け人によって作られた空間に気づかずに生き、実質的に仕掛け人の意図通りに人びとが動いてしまうような権力が存在しています。
こうした権力を「環境管理型権力」といいます。
環境管理型権力は、貧困層の人びとの排除の意味合いも持ちえます。
公園や地下街といった公共空間に目を移すと、例えば
・ホームレスが寝そべるのを妨害するためにベンチの中央に設置された手すり
・ホームレスが居座るのを妨げる地下街のオブジェ
・浮浪者が寝るのを妨げる丸いベンチ
・野宿を排除するための公園のスプリンクラー
・ゴミ漁り防止のために設置された忍び返しのついたゴミ箱
といった仕掛けも中には目にすることもあります。
一見、ただの手すり、オブジェ、丸ベンチ、スプリンクラー、ゴミ箱に見えても、こういう意図がありうるんですね(><)。
こうした排除の仕掛けは海外だけの話でなく、日本の公共空間にも見られるようです。
「見たくないものをみない」ようにする仕掛けは、ホームレス・犯罪・マイノリティといった「コスト」をも見えなくしてしまう機能があるんですね。
【1,環境管理型権カ/環境管理型アーキテクチャーとは】 (このレポートが作成されたのはは2003年頃ですが、現在でも気に留めるべき課題であると思います)
ここまでは暗い話なんですが、上記のような環境管理型権力の方向性の逆を行く空間(店)も実際にあります。
逆というのは、排除ではなく包摂という意味においてです。
その店の空間は、デザインがお客さんにとって居心地の良いことが最優先されています(^^)。
・店内の色目は白、緑、木目調。
・靴を脱いでリラックスして入店できるフローリングの床。
・モノの配置はすべて左右対称。
・メニュー冊子は段ボールと裏紙と紐と手書き。
・つり銭トレーや注文板も木材の端切れで手作り。
これはすべてお客さんの心を落ち着かせ、滞在時間を長くするための仕掛けです(^^)。
また、店にはフリーターやニート、うつ、引きこもり、障がい者、原発事故避難者等の社会的弱者と呼ばれるような人たちも集まっています。
見知らぬお客さん同士でも、「見たくないもの見ないようにしてきた」社会問題に対しても積極的に議論しあったりしています。
店主は回転率を良くするような意図がどうも無いようで、お客さんは居心地の良さからリピーターが多いです。
私は1週もしくは2週に1回通うリピーターの一人で、500円のビール一杯で数時間長居させてもらったこともしばしばありました(*^^*)。
この店や店主の生き方をいいと感じたお客さんは、店主の勧めで自給自足の農業を始めたり、地方へ移住したり、社会貢献活動をしたり、モノを捨て始めたりしています(*^^*)。
この店は開店から10年以上経っていますが、いまだに続いています。
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排除ではなく包摂の空間。
コストのかからない男はマイノリティ排除の「コストカット」を望みたくはありません。
人はコストではありません。
この包摂の空間をいかに多く作っていくことがこれからの未来のカギであるような気がします。
まずは大きな一歩ではなく、小さな一歩からo(^▽^)o。