寝ながらアレコレ考えることが大きな成果を出す可能性を生む。民話「三年寝太郎」に学ぶ。

昔々、ある村に不思議な男が住んでいました。

この男、村人が朝から晩まで働いているのをよそに一日中寝てばかりいたのです。揺すぶっても、くすぐっても、なぐっても、朝になっても、夜になっても起きません。

一年目には一年寝太郎、二年目には二年寝太郎、三年目には三年寝太郎と呼ばれ、村人からは鼻つまみ者扱いにされ、子どもたちにもばかにされる始末でした。

さて、この村には田んぼへひく水が無かったんですが、カンカン照りの夏になると稲は決まってしおしお枯れてしまうのでした。村人たちは雨乞いの火を焚くやら、水神さまを祀るやらしましたが、雨はいっこうに降ってくれません。

村の一人が「村ん衆、わしらはまじめに働いた。それでもこの日照りじゃ。これは天罰じゃ。罰あたりがこの村におるからじゃ。罰あたりがこの村におる限り、この日照りは止まぬ、止まぬ。」と言いました。村人たちは寝太郎に消えてもらおうと丘の上までやって来ました。

すると寝太郎は起き出して丘の上の岩を崖に向かって急に押し始め、大きな岩を谷底へ落としてしまいました。すると、落下した小さな岩が大きな岩を突き動かして、もろともに重なりあって川の中に落ち、川の流れをせき止めて、堤を破って水が村の方に流れ出していきました。

こうして村の田んぼは生き返りました。そうです。寝太郎はただ寝ていただけでは無かったのです。寝ながら毎年村を苦しめる日照りのことを心配していたのです。どうにかして川に水が引けないか考えていたのです。

寝太郎は考えに考えぬいてそれを見つけました。こうして村人たちは寝太郎が作った水の流れに沿って用水路を作り上げていきました。もう日照りになっても水の心配をする必要が無くなったのです。村には毎年豊かな実りが訪れました。

それからというもの、村人たちは寝太郎は賢いと言って喜び、寝太郎を大事にしましたとさ。(以上、TVアニメ「まんが日本昔ばなし 」の「三年寝太郎」を参考に、要旨を損なわない程度に一部加筆修正しました。)



僕はこの三年寝太郎の話が好きです(^^)。

みんながみんな朝から晩まで働いて一人一人の気持ちに余裕を無くしていけば、多くの人が非効率的で非生産的な仕事に束縛されざるを得ませんよね(^^;;。

その時は効率的で生産的なアイディアを出せる人が必要になってきますが、みんながみんな時間的にも肉体的にも余裕を失った状態では、そこからいいアイディアなんて生まれてきません(T_T)。

この話の中では、みんながみんな日照りの田んぼで一生懸命働くよりも、一人が岩を崖から川に落とすような微々たる労力で、村の作物がよく実るというハッピーエンドで終わっています(*^^*)。

たくさん寝ながらアレコレ考える機会を与えられた寝太郎は、変わり者とされながらも徐々に「知恵者」に近づいていきました。



やっぱり寝ること、リラックスした状態で物事を考えるのって大事ですよね(o^^o)。。



多くの人が非効率的な仕事を従事しても結果が出ない時、ムラ社会では怒りの矛先を「怠け者」や「変わり者」に向けがちです。

しかし、変わり者だと寝太郎を厄介者にしながらも、何だかんだ言って村人は三年もの間彼の熟睡を許容してきました(最終的には我慢の限界に達してしまったようですが。。)。

僕はコミュニティの中でのこの許容度こそが「知恵者」を生むカギになっていくんだと思います(^^)。

寝太郎を穀つぶしにするか、「知恵者」にするかは彼の周囲次第でしょう。



三年寝っぱなしは極端だとしても、社会の役にどうすれば立てられるのかをひたすら考えるゆとりくらいは労働時間を減らして作っていくことが大事かなと思いました。

私は今仕事を休み、実家に帰ってたくさん寝て考え事ばかりしていますが、この営みが大きな成果を生むといいなと思っています(o^^o)。

そして怠け者と思われる人も許容できるような人間になりたいなと思います(o^^o)。