「量の生活」から「質の生活」へ。マイナー・サブシステンスについての座談会を終えて。

おはようございます(^^)

 

9/14(水)の昼に「買う方が安いのに米・野菜を自分で作る方がいいんですか?」というタイトルで十数人で座談会を開催しました。

 

約三時間、マイナー・サブシステンス(経済的価値よりも社会的・精神的価値を重視する生業)を主題に田んぼや畑などの自然の中での労働について語り合いました。

 

非常に有意義な時間を過ごせたと思います(*^^*)。

 

みなさんも、積極的に議論に参加してくださって本当にありがたいことです。

 

以下、経済的意義をあまり有さない自然の中での労働について座談会の中で出てきたポイント(太字)について、以下お話しできればと思います。

 

◎仕事は自分のペースで自分の責任で行うことが大事。

・田んぼや畑を広げすぎると、自分のペースで、自分の責任で仕事ができなくなってしまいます。そこで、他人の手を借りたり、機械を使用することによって仕事を完成させざるをえなくなってきますが、それでは「自分の手で作物を作ったんだ」という充実感はわかなくなってしまいます。マイナー・サブシステンスの営みは、「何kgとらなくてはならない」という高い目標やノルマは似つかわしくありません。

 

◎美し夕陽を見たり、生き物を観察する時間が大事。

多くの生物たちの復活と共存。

・この意見には深く同調しました。僕も夕方や、夜中に田植えをするのが好きで、夕陽が落ちる美しさと暗闇の恐怖感を味わいながら作業をするのはまた格別です。暗闇の中の田植えを終えた時には、自分がなぜか一段階たくましくなった感じがします。

・また、手で稲を刈っていると、心にゆとりができたような感じがして仕事だけでなく田んぼの自然や生物たちにも目を向けるようになるんですね。この瞬間、生き物たちへの慈愛の心が育まれ、多くの生物が棲めるような環境づくりに興味が出てくるのではないでしょうか。

・マイナー・サブシステンスは子どもの教育と親和性が高い営みであると私は確信しています。

 

◎農業は消耗ではなく、充電の時間。

・この感覚を共有できる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。僕たちは労働はエネルギーの消費でしかないと考えがちです。ですが、マイナー・サブシステンスの特質を持つ農業は、心に活力をもたらしてくれるものなんですね。確かに作業はきついです。体がクタクタになります。でも、その疲れが心地よくもなるんです。苦の中に光あり、苦痛の中の達成感こそが、「また来年もやりたいなあ」と思える気持ちにさせてくれる原動力になるんです。

 

◎自分で作った作物は売らない。

・僕がイナゴとりの研究をしていた時に、近所のおじいちゃんから言われたことです。「自分で捕ったイナゴは一億円出されても売らない」と。自分が苦労して採ったイナゴは自分が味を楽しむだけでなく、親族や近隣住民の人にも「おいしい」という喜びを共有するためのものでした。会の中で同じような話を聞けたので、非常に嬉しかったです。農業を自分のためだけでなく、他人のためにも行うようになると、小さなコミュニティの中でもそれが「評判」となり、それが個人の「威信」につながっていくものだと思われます。

 

◎職が無くても、お金を使わなくても農業があれば何とかなる。

◎消費者からの脱出。価格競争に左右されない。

・自給をすれば、収入が少なくても食べていけるという話はよく耳にします。しかし、それだけでは物足りない気がします。やはり作った野菜を近隣の人におすそ分けすることによって、仲良くなっていきましょう。いざとなったら「助け合い」の精神です。企業に勤めてお金をもらって衣食住が全てまかなえる時代は案外早く終わりを迎えるかもしれません。古いゲームをやめて新しいゲームを始めたかったら、自分だけのことしか考えないクセから脱却し、自分をとりまく社会についても関心をむけながら自給を始めていく必要があると考えます。

 

◎後世に残る仕事、持続可能な農業。

・後世に残る仕事というのは、経済的価値の高い生業ばかりのものではありません。かつて金銭的な収入が高いものとして評価されてきたサケ漁や水鳥猟も、時代を経るにつれ経済的価値は落ちていきます。でも、猟に関する技術が後世に伝承されないわけではないんですね。僕が2010年に行った長野県の栄村にある秋山郷マタギの民宿に泊まった際も、昔は買うと非常に高かったクマの胆をとるために現金収入源として行われていたクマ猟が、今では有害鳥獣駆除のために小規模で行われているほど縮小していました。しかし、今でも精神的なよりどころとして秋山郷マタギの人たちに受け継がれています。

 

◎子育てとマイナー・サブシステンスは通ずるものがある。

・以前、子育てをしている先輩の家に行った時に「子どもは非経済的」という話を聞いたことがあります。でも、その向こうにある様々な素晴らしさがあるからこそこうして子育てをしているんだと言われた記憶があります。今の日本の子どもにかかる教育費を考えると、気絶がしそうなくらい高いです。でも、経済的価値だけでは測れないところにこそ子育ての素晴らしさがあるんですよね。

 

 

これから日本経済は間違いなく沈んでいきます。経済的な尺度だけで物事を判断するには様々な場面で限界がみえてるでしょう。マイナー・サブシステンスのキーポイントは民俗学者の菅豊先生が言うように「量の問題」から「質の問題」への転換にあります。僕としては「量の生活」から「質の生活」への転換をいかにはかっていくかが、これからのポイントになりそうです。

 

今回の座談会を通じて、自分の修士論文のテーマと今の自分の生活がどれくらいリンクしているのかも含めて、色々問い直す機会となりました。

 

マイナー・サブシステンスというマニアックなテーマにつきあってくださった参加者の皆さん、「月間高坂勝」の中心人物高坂勝さん、ありがとうございました(o^^o)