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稲の手植えをしよう!経済合理性を超克してよりよい豊かさを

こんばんは。

千葉県匝瑳市も暑くなってきました(^^;;。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。


僕は今、千葉県匝瑳市の田んぼを二畝(約198平方メートル)借りて米作りに励んでいます。

うまくいけば80kgの無農薬・天日干しの米がとれる予定です。

そのために、昨日は夜7時までひたすら手で苗を植えていました。

けっこうきつかったです(^^;;。


手植えは腰をかがめ、ひたすら田んぼに苗を植えていく作業です。

僕の区画は僕一人が行っているので、誰の助けも借りていません。

それだけに、何反も使って稲を作ることはできません。

たった二畝でも一人で手植えするのは本当にきついです^^;。


ゆえに、「僕は手植えをしています」と職場の人や友人に話すとよく驚かれます。

「田植え機を使えば楽なのに」って(笑)。

「田植え機は稲と稲の間隔、植えた時の深さが適度になるように計算されている。収穫量を見込むのであれば手植えなんて論外」と嘲笑するような人も一部に見受けられました(笑)。

手植えの楽しさを全然わかっていないのだと思いますf^_^;。


僕は手植えをする際、裸足で田んぼに入ります。

地面の泥がヌルヌルしていて、とても生々しく心地よい感じがするんですね。

この感触で「この季節がまたやって来た!」と気持ちを入れることができるんです(*^^*)。


里山の綺麗な景色と心地よい太陽の光や風。

その中で黙々と稲を植えていく。

稲一本一本に期待と感謝の意をこめる。

腰がきついけど、気分はいい。

やがて物思いにふける。

ただただ夢中になるだけ。

やがて辺りが暗くなり、月がのぼる。

水面に映る月光。

本当は辺りが暗いはずなのに、月光で何とか手植えが可能だ。

暗闇すらも心地いい。

カエルの鳴き声。

最高だ。

友達とこの収穫と喜びを分かちあいたい。

また来年もやりたい。



これが田植え機だったらどうでしょう。

僕は田植え機を使ったことは無いけど、これを使えば来年もやりたいなんて思えそうもありません(^^;;。


短時間で終わるのに五感を通して自然を十分に楽しめるのか?

自然の中で黙々と瞑想にふけることができるのか?

筋肉をフル活用した運動ができるのか?

夢中になれるのか?

動物の鳴き声に耳をすませられるのか?

田植えについてどれだけ楽しく語れるのか?

また来年もやりたいと思えるのか?



あまりに道具が洗練されていくと、田植えから遊びの要素が消え、まったくの労働に変質してしまう気がするのです。

経済合理性が高ければ高いほど、生産者にとっていいというものでは必ずしもありません。

人間は思いの外不合理な存在だからです。

楽だからいいというものではありません。

収穫量が多けりゃいいというものではありません。

そうは言っても、成果はちゃんとあるんですよ。

うまくいけば二畝で80kg。

十分ではないですか(*^^*)。


人間の本当の豊かさは経済的価値のみにあらず。

社会的、精神的価値も、とっても大事なんです。

経済合理性を超克してこそ人間の本当の豊かさが手に入るのではとつくづく感じましたo(^▽^)o。